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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)219号 判決 1977年12月23日

原告

旧商号株式会社みな美商店こと

株式会社みな美志まづ

右代表者

相田保

右訴訟代理人

山崎忠志

被告

榊儀三郎

右訴訟代理人

田中藤作

右訴訟復代理人

大江篤弥

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  原告代理人は、「被告が訴外相田幸一に対する大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号建物収去、土地明渡請求事件の確定判決の執行力ある正本に基づく別紙一記載の各物件に対する強制執行はこれを許さない。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二  原告の主張

一、請求原因

(一)  被告と訴外相田幸一との間には、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号建物収去土地明渡請求事件につき、確定判決があり、右判決は同訴外人が、被告に対し、別紙一物件目録一記載の土地部分上にある同訴外人所有の別紙一物件目録二記載の建物部分を収去して右土地部分を明渡すべきことを命じている。

(二)  しかし、原告は、昭和三一年三月頃から現在まで右訴外人より右建物全部を賃借し、(本件建物の賃料は昭和三一年頃賃貸当初は月額一万五、〇〇〇円であつたが、その后徐々に値上げされ、昭和四二年頃からは月額金五万円になつて、現在に至つている。)昭和三六年頃までは、原告経営の鮮魚類販売並びに漁撈養殖業のため営業所事務所、従業員宿舎として、更にその頃以降現在までは、本店事務所、応接間、従業員宿舎として使用して占有している。

(三)  よつて、原告(昭和四七年九月一日付で現商号となり、代表取締役も相田幸一から相田保に変つた。)は、右建物につき占有権を有しており、前記債務名義に基づき強制執行をされると原告は、いわれなき侵害を蒙ることになるので、被告に対し、右債務名義に基づき強制執行のなされることの排除を求める。

(四)  なお、被告の主張一の(二)のうち、(1)の記載の事実は否認、右(2)記載の事実中相田幸一が保と共に販売していた点は否認し、その余の各事実は認める。

被告は、相田幸一が前判決後被告と明渡猶予の交渉に当つていて事情をよく知つているからとの理由を主張するようであるが、仮にそうだとしても、会社組織にして営業活動をするに相応しい実体を有する原告会社が、偶々従来から本件建物の使用権を有していたので、ただその有する権利を主張しているにすぎない。

また、同(3)記載の事実中、本訴収去目的物件の建物のほかに営業所があることは認めるが、その余の各事実は否認する。「小あん」の店舗は原告会社が賃借している部分の一部分にすぎない。

(五)  付言すれば、原告は、前訴後の昭和四六年一一月六日付で、大阪市から本件幸一所有の土地と大阪市所有溝渠敷(溝渠敷は、その西側に右幸一所有地と接し、東側を本件被告の所有地と接している)との境界明示を受け、これに拠つて改めて本件建物による被告の土地占有範囲を測定したところ、甲第一二号証(実測図)のとおり被告の土地占有面積は2.04平方メートルであることが判明した(因みに、前訴判決で認定された面積は6.94平方メートルである。)。従つて、土地明渡問題については、原告は幸一とは別個に被告に対する判決の効力が当然に原告に及ぶが如き結論は妥当でない。

二、被告主張の法人格否認の抗弁に対する主張等

(一)  被告主張の第三の二の(一)記載の事実のうち、原告会社の設立の日、設定時の本店、現在本訴収去目的建物(以下本件建物という。)で営業していない点は否認(本件建物で販売はしていないが、営業活動はしている)し、その余は認める。

同(二)記載の事実のうち「茶寮小あん」の店築造の場所は認め、その余は否認する。「小あん」は原告会社から転借している。「小あん」の占有部分は、別紙三図面中一階白紙部分の北寄りの一部分(約八坪)である。

同(三)記載の事実のうち、相田幸一が大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件の被告であること、原告会社の代表取締役であつたこと、長男相田保が専務取締役であつたこと及び本件建物以外の店舗で販売していることは認め、その余は否認する。

(二)  法人格否認の被告の抗弁に対する主張

(1) 原告会社の前身は同和水産株式会社であつて、同会社は昭和二七年頃設立され、昭和三一年二月頃に解散するまで運営されていた。右会社も魚貝類の卸売りを主たる目的とし、当時本件建物は右会社の営業所(本舗)として使用されていた。

右会社が解散して後、直ちに原告会社が昭和三一年三月一日、資本金一〇〇万円で設立された。右会社の主目的は魚貝類の卸売、水産物加工で、設立当初本店は堺市三条通二丁七番地にあり、本件建物は営業所事務所、従業員宿舎に使用されていた。

その後、本店は堺市耳原町一、二七〇番地の四に移り、ついで、昭和三六年頃本件建物所在地に移転し、その時期から本件建物は本店事務所、営業所、従業員宿舎として使用されていた。昭和四二年頃から大阪市南区高津町九番丁一四番地に更に一軒店舗を賃借し、右店舗では魚貝類の小売、本件建物では卸売りをしていたが、昭和四三年頃からは右店舗で小売りと卸売りをなし、本件建物での卸売りはしなくなつた。

しかし、本件建物は依然として事務所、応接室、従業員宿舎として原告会社が使用して現在に至つている。又その他に、原告会社は、設立当初から大阪市港区八幡屋松之町二丁目五八番地において、あなご、うなぎの加工作業所を有し、同所で、あなご等加工作業をし、加工ずみあなご等は大阪市福島区上福島の中央卸売市場にて店舗を構えて卸売りしていたが、昭和四六年六月三〇日右あなご等加工、販売部門のみ分離して新設の株式会社繩幸に経営させている。なお、別紙三図面のうち赤線以外の部分中二階は相田幸一の長男相田保一家(保の妻と子供二人)が居住用に使用している。

又、相田幸一は昭和二八年末頃または昭和二九年春頃から、それまで居住していた本件建物を出て、現在まで大阪市港区八幡屋松之町二丁目五八番地にて妻と末婚の子と共に居住し、本件建物に居住したことはない。

(2) 現在の原告会社の株主は、相田幸一が三〇〇株、(一株の額面金額五〇〇円)、相田保が一、〇〇〇株、吉田文夫(仕入先)二〇〇株、井村皓一(従業員)、柳繁夫(同)がそれぞれ二五〇株を所有している。

(3) 原告会社従業員は設立以来現在までの間、多い時期で一四ないし一五名いた。昭和四七年一〇月七日現在の従業員は、責任者一名、販売係六名、経理係二名、炊事係一名で、必要員数は一五名であるが、人手不足で止むなく右の状態で運営している。

なお、本件建物には多い時で五名宿泊していたが、昭和四七年一〇月七日現在独身者三名が宿泊している。

(4) 月商は、昭和四七年二月末頃現在で平均約一、〇〇〇万円である。経理については、設立当時から現在まで公認会計士金田清に指導、決算書類作成、納税事務を委任している。前記二名の経理係のなす毎日の記帳処理と相俟つて経理組織及び経理処理は完全である。

(5) なお、本件建物の所在するいわゆる黒門市場は大阪市内随一の卸小売市場で多数の各種商店舗が並んでおり、原告会社も各種魚貝類を大阪市内の旅館、料亭、飲食店等に卸売り(主として配達の方法による)している。

(6) 右に述べたとおり、原告会社は、相田幸一の一人会社ではなく、その点からでも相田幸一の一存でどうにでもなる会社ではなく、従つて、相田幸一と原告会社との間に実質的同一性はなく、法人格濫用の要件とされているいわゆる支配の要件は存しない。

(7) 次に、原告会社設立の事情も、前記のとおり、同和水産株式会社の後身として設立されたこと、設立時期も前訴提起前であること等によつても相田幸一が会社形態を利用して本件建物部分収去敷地明渡の義務を不当に回避する意図があつたものではなく、その他、相田幸一が個人の経済的利益のため会社形態を違法または不当に利用する目的であつたとは到底いえない。

原告会社程度の経営規模からいつても、第三者とくに金融機関からより厚い信用を受け、容易に金融を受けるようにし、ひいてはより活発な営業活動をするためには、会社形態を採ることが必要であつた。この程度の経営規模では多額の融資を必要とするが、個人と会社の財産混同があるようでは金融機関の融資は到底望まれない、法人格濫用の他の要件としていわゆる目的の要件が必要であるが、前述のとおり違法不当な目的を裏づける事実は何もない。

(8) なお、前記のとおり経理処理が完全であり、会社財産が独立している以上、相田幸一と原告会社の経理ないし財産関係が混同される事情になく、勿論相田幸一が自己の利益のために会社財産を利用に供しうる余地もなく、従つて、原告会社が実質的に相田幸一の企業であるといえず、いわゆる法人格形骸の要件も存しない。

三、被告主張の予備的抗弁に対する原告の主張等

(一)  被告主張の第三の(一)記載の各事実のうち、(4)は不知、(5)のうち鑑定を拒否したのが相田幸一であること、相田幸一が上申書を提出した点、(6)及び(7)の各事実はいずれも否認し、その余の各事実は認める。

(二)  乙第一号証(依頼状)について

相田幸一は前訴で敗訴したが、これに対し、控訴せんとして準備中に、被告より話合にて円満解決したい旨申入れがあり、そこで、幸一は控訴せずに話合にのり、昭和四四年四月七日被告に対し、前訴判決で請求されていなかつた損害金と訴訟費用(被告弁護人の弁護土費用)として金五〇万円を支払つた。幸一が右金員を支払つたのは、被告において建物収去を求めず、円満解決に努力する含みで、示談金の内入れの趣旨をこめていたからである。それから半年後に乙第一号証が作成されたが、被告が得心するためということで作成されたもので、真実明渡猶予の趣旨で作成された書面ではない。

(三)  被告主張の第三の三の(二)及び(三)記載の主張はいずれも争う。

第三  被告の主張

一、被告の答弁及び主張

(一)  原告主張の請求原因事実のうち、第一項は認め、第二、第三項はいずれも否認する。

(二)  本件収去目的物件の占有について

(1) 原告会社が本件収去目的物件を占有している事実はない。

原告会社の看板巾九糎位、長さ一七糎位の小さな標札を提出したのは昭和四五年三月頃で、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件(昭和三一年一月二〇日提起)の執行力ある正本の基本の判決(昭和四四年三月七日判決)後であつて、それに標札名は「みなみ支店」となつていた。

爾来、現在に至るまで「株式会社みな美商店」なる標記は全然なく、「みな美」の法人名の一端が現われたのは、この時が初めてである。

現在は、その標札もなく昭和四七年七月には相田保、節子の新しい個人の標札を掲出している。

(2) 原告会社の代表相田幸一は個人として昭和二〇年一〇月以降本件建物の改築前の建物(仮設建物)を居住占有していたが、昭和三一年一月被告から本件執行力ある正本の基礎たる判決の訴訟が提起され、繋属中にも拘らず、昭和三八年八月、右家屋を取毀ち、同地上に収去目的物件たる現在の三階建店舗兼居宅を増改築したものであつて、爾来、相田幸一がその長男保と共にこれにて生鮮魚貝類の販売をしていたものである。

(3) 現在、原告会社は本件建物とは別の(現在地から西南へ一五〇メートルのところ)大阪市南区高津町九番丁一四番地に営業所を開いている。

本件建物(本店所在地)は、乙第六号証(第八期事業報告書)記載のとおり「茶寮小あん」に店舗を貸しているものであつて、原告会社は占有していないものである。

(三)  原告は、被告の土地占有範囲を改めて測定したところ、前訴判決において設定された面積よりもはるかに狭少である旨主張するけれども、占有範囲に関しては前訴の口頭弁論終結時と現在とを比較してみると、原告がその賃貸する建物の位置をずらしたというような事実はなく、前訴の口頭弁論終結時と同じ位置にその建物があるのであるから、面積の違いが生ずる筈がない。

また、その面積の点も前訴において既に十分審理され尽しているのであるから、原告は今になつてその占有する面積が狭少であると主張するに由なく、この点に関する原告の主張はその測量方法に恣意ないし誤膠があるものといわねばならず、この点に関する原告の主張も理由がない。

二、被告の法人格否認の抗弁について

仮に、原告会社が占有しているとしても、被告は、次のとおり主張する。

(一)  原告会社は昭和三一年三月三一日資本金一〇〇万円、その本店は大阪市南区高津町九番丁一番地で創立されている。その営業目的は、(イ)生鮮魚貝類の販売(ロ)漁撈並びに養殖(ハ)これに附帯する事業である。しかも、生鮮魚貝類の販売は、黒門市場内の本店所在地において営業していたこともあるが、現在は本件建物(本店所在地)とは全然別店舗(西南一五〇メートルの地点)で営業している。一時本件建物(本店所在地)の改築当時に営業していたことはあるが、現在は全然営業していない。

(二)  原告会社は、昭和四五年三月頃本件建物に「みなみ支店」なる小さな新しい標札を掲げていたことがある。

その後、昭和四六年五月中旬本訴目的物件たる建物の一階、店の間を改造して「茶寮小あん」を開店した。その経営は親族の相田米造(株式会社みな美商店監査役)であつて、相田幸一から借りうけて営業していると称している。

(三)  原告会社は、訴外大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件の被告である相田幸一が代表取締役で、その漁撈業務を担当し、その長男相田保が専務として、本件目的物件(本店所在地)とは別の黒門市場内における本舗で販売を担当している。

即ち、原告会社は、右大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件の被告の同族会社で、その会計経理が会社としてはなされていることがあるかもしれないが、それは形式に過ぎない。

実体は、相田幸一、相田保、親子の営業で、本件目的物件(本店所在地)に、事務員、従業員らしき者の出入りもなく、住込従業員と認められるものは南区役所の住民票には二名より見当らない。

(四)  以上のとおりであるから、原告会社がたとえ会社形態をとつていたとしても、それは節税対策上のものであり、実質的には個人企業と何ら異なるものではなく、原告会社は、実質的には会社即個人、個人即会社であり、その実体は個人に還元されるものであると考える。

従つて、原告会社は、法人格がまつたくの形骸にすぎないものであつて、原告の本訴請求は法人格の濫用として許されないものである。

(五)  なお、原告主張の第二の二の(二)のうち、(1)記載の事実中(イ)同和水産株式会社に関することは不知、(ロ)原告会社の設立時、資本金、会社の目的は認めるが、その余は否認する。(ハ)原告が大阪市南区高津町九番丁一四番地に店舗を賃借して魚貝類の卸売、小売をしていることは認めるが、原告が本件建物を現在使用していることは否認する。(ニ)株式会社繩幸に関することは不知。(ホ)本件建物の二階の一部を相田保の家族が居住使用していることは認める。(ヘ)相田幸一が本件建物に居住したことがないという点は否認する。

同(2)記載の原告会社の株主構成は不知。

同(3)記載の従業員の人数も不知。

同(4)記載の月商の経理は否認する。

同(5)記載のうち、黒門市場の一般事情は認めるけれども、原告会社に関することは不知。

同(6)ないし(8)記載の各事実はいずれも否認する。

三、被告の予備的抗弁について

仮に、被告主張の法人格否認の抗弁が認められないとしても、原告会社の本訴請求は、信義則違反ないし権利の濫用として許されない。

すなわち、

(一)  被告は、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号建物収去土地明渡請求事件につき、昭和四四年三月七日判決の云渡を受け、訴外相田幸一が被告に本件建物を取毀して土地を明渡すべきことが明らかになつたとき、

(1) まず、相田幸一は大阪市会議員某に依頼して話合いにきた。

(2) 被告が、早く明け渡すよう請求したところ、右相田幸一は、乙第一号証(依頼書)を長男相田保を通じて被告に対し、差し出し、相田幸一が病気であるから昭和四五年六月まで猶予してくれと申し入れてきた。当時、相田幸一は原告会社の代表取締役であり、原告会社の立ちのきも当然意識していたものと推測される。そこで、被告は、右申入れの猶予に従つた。

(3) ところが、相田幸一は、昭和四六年六月になつても右判決どおり明渡さなかつた。

(4) 被告は、右相田幸一に対する右判決の執行のため昭和四五年九月一七日本件建物収去命令を求め、代替執行の申立をした。

(5) 右申立につき、大阪地方裁判所第一四民事部は、その費用の鑑定を鑑定人吉仲清に命じ、同人が鑑定のため右相田幸一の本件家屋の調査をせんとしたところ、それを拒否し、その拒否理由として乙第三号証(上申書)を右相田幸一から右鑑定人に提出した。

(6) 右によれば、境界線につき異議があるが、右相田幸一は自発的に右判決に従い明渡す旨申し述べている。

(7) 以上とおりであつて、相田幸一は個人としてのみならず、本件家屋の明渡につき原告会社の代表取締役としても充分関心を払つていたものと推測され、一旦明渡すと約束したのにかかわらず、後になつて、原告会社がたまたま第三者としての人格を有することを奇貨として、本訴請求をおこすことは信義則違背ないし権利の濫用として許されない。

(二)  のみならず、原告会社商号変更前の代表者相田幸一は、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件の訴提起後に個人として本件建物を原告会社に貸与し、原告会社には右訴訟の進行並びに前記(一)記載の事情は充分了解されていたにもかかわらず、右訴訟の判決確定後右判決の執行を免れる目的で本件第三者異議の訴を起すことは権利の濫用として許されない。

(三)  なお、本件係争土地の如く南北に細長い土地について、その一部を占有しておるにすぎないもので、前記(一)及び(二)のような事情の存する本件にあつては、その係争部分からみても原告の請求は明らかに権利の濫用として許されない。

(四)  付言すれば、被告は、終始本件建物部分の収去を求めてやまず、金銭的解決を右幸一及び保に対し、申し入れた事実はない。訴外相田幸一が、被告に対し、金五〇万円を支払つたのは、明渡しのおくれたことによる被告の蒙つた損害金を支払つたにすぎない。被告がこれを受領したのは、明渡しがおくれたことによる地代相当の損害金及び弁護士費用としてである。

第四  証拠関係<省略>

理由

第一まず、原告主張の請求原因について判断する。

原告主張の第二の一の(一)記載の各事実については当事者間に争いがない。

ところで、原告は、事実欄第二の一の(二)及び(三)記載のとおり主張し、被告は、事実欄第三の(二)記載のとおり主張するので案ずるに、<証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる。

即ち、(一)、原告会社は、昭和三一年三月一日に本店所在地を登記上は事実欄第三の二の(一)記載の所在地、事実上は堺市三条通二丁七番地として、生鮮魚貝類販売、漁撈並びに養殖、その他右に附帯する一切の事業を目的として、資本金一〇〇万円(一株金五〇〇円二千株、営業の目的及び資本金については当事者間に争いがない。)で設立され、商号を株式会社みな美商店と称し、代表取締役に相田幸一が就任し、昭和三一年三月頃、右相田幸一個人の本件建物を月額賃料金一万五、〇〇〇円で原告会社に賃貸したこと。(二)、その後、昭和四七年九月一日付で、原告会社は、その商号を「株式会社みな美志まづ」と変更し、同時に代表取締役も相田保(幸一の長男)に変つたこと、(三)、本件建物の賃料は、初め前記のとおり月額金一万五、〇〇〇円であつたが、次第に増額(減額されたこともある)されて、現在は月額金五万円になつていること、(四)現在、原告会社が使用しているところは、相田幸一が昭和三五年頃増改築して三階建としたうち、別紙三の図面のうち、一階部分は、南側の事務所兼応接間の四畳半の間と、その南側の家族従業員共同台所、食堂四畳半の間、二階部分は、一番南側の従業員宿舎四畳半の間、三階部分は南側六畳の間を従業員宿舎として使用占有していることが認められ、被告本人の尋問の結果のうちには前記被告の主張に副い、右認定に反する部分もあるが、前顕証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

もつとも、<証拠>を綜合すると、原告会社が本件建物に出している看板は、本件基本の判決(大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件、昭和四四年三月七日云渡)後に標札名を「みなみ支店」として出していることが認められるけれども、これは<証拠>によると、同人の留守に、町内(一般に同じ町内の看板は一律同型している。)の看板を作る人が注文をとりに来たため、原稿をあやまつて書いたために起つたものであることが認められるから、右各証拠の存在も前記認定を左右するものではない。

そうすると、本件建物の収去部分は第三者である原告がこれを占有しているものといわねばならない。

(なお、原告は、その主張第二の一の(五)のとおり主張し、<証拠>を併せ考えると、前訴の口頭弁論終結時と現在とを比較してみると、原告がその賃貸する建物の位置をずらしたというような事実はなく、前訴の口頭弁論終結時と同じ位置にその建物があるのであるから、その面積の違いが生ずることはないこと、また、その面積の点も、前訴において充分審理を尽されていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠も存しないので、<証拠>が存するからといつて、原告の第二の一の(五)の主張はにわかに採用するに由ない。)

第二次に、被告主張の法人格否認の抗弁について判断する。

被告は、その主張第三の二の(一)ないし(四)記載のとおり主張し、原告は、その主張第二の二の(二)記載のとおり抗争するので案ずるに、「凡そ、社団法人において、法人格がまったく形骸にすぎない場合またはそれが法律の適用を回避するために濫用される場合には、その法人格を否認することができる。」(最高裁判所昭和四四年二月二七日第一小法廷判決、集第二三巻第二号五一一頁参照)と解するのを相当とするところ、今本件につきこれをみるに、被告は、原告が会社形態をとつていたとしても、それは節税対策上のもので、実質は個人企業と何ら異なるものではなく、原告は、実質的には会社即個人、個人即会社であつて、法人格がまつたく形骸にすぎない旨主張し、原告は、資本金一〇〇万円の株式会社であつて、相田幸一が代表取締役、長男相田保が専務として長らく営業してきたことについては当事者間に争いがなく、証人金田清の証言によると、原告会社は相田幸一を中心として同族会社として運営されてきたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないところ、右認定事実によると、原告会社は相田幸一の意向が強く働く同族会社であることは推認されるけれども、右事実に、被告の主張に副う供述部分のある被告本人の尋問の結果を併せ考えても、原告会社はいわゆる法人格が全く形骸にすぎないものであることを認めうる前提事実を認めるに足らず、他にこれを認めるに足りる証拠はないところ、かえつて、<証拠>を併せ考えると、理由欄第一において認定した事実のほか、原告の主張に副う次の各事実が認められる。

即ち、(一)原告会社は昭和三一年三月一日設立当初は事実上本店を堺市三条通二丁七番地におき、その後、本店は事実上堺市耳原町一、二七〇番地の四に移り、ついで、昭和三六年項事実上本件建物所在地に移転し、その時期から本件建物は本店事務所、営業所、従業員宿舎として使用されていたが、昭和四二年頃から大阪市南区高津町九番丁一四番地にさらに一軒店舗を賃貸し、右店舗では魚貝類の小売り、本件建物では卸売りをしていたが、昭和四三年頃からは右店舗で小売りと卸売りをなし、本件建物での卸売りはしなくなつたこと。

右のほかに、原告会社は、設立当初から大阪市港区八幡屋松之町二丁目五八番地において、あなご、うなぎ、の加工作業所を有し、右作業をし、加工ずみあなご等は大阪市福島区上福島の中央卸売市場にて店舗を構えて卸売りしていたが、昭和四六年六月三〇月右あなご等加工、販売部門のみ分離して、新設の株式会社繩幸に経営させていること。

また、昭和四一年には韓国からのあなごの輸入部門を独立させて、金鋼物産株式会社を設立したこと。

(二) 現在の原告会社の株主は、相田幸一が三〇〇株(一株の額面金額五〇〇円)、相田保が一、〇〇〇株、吉田文夫(仕入先)二〇〇株、井村皓一(従業員)、柳繁夫(同)がそれぞれ二五〇株を所有していること。

(三) 原告会社の従業員は設立以来現在までの間、多い時で一四ないし一五名いたが、昭和四七年一〇月七日現在の従業員は、責任者一名、販売係六名、経理係二名、炊事係一名であること。

(四) 月商は、昭和四七年二月末頃現在で平均約一千万円であつたがその後の売上げは月間一、六〇〇万円から二、〇〇〇万円で、年商は二億七、〇〇〇万円程度となつていること。

(五) 経理については、原告会社の設立当初から現在まで公認会計士金田清に指導を仰ぎ、同人は、主として月に二、三回事務員を派遣して帳簿の記載内容をみて、月末に帳簿を締切り、計算表をつくつてその月の営業成績を検討し、また、原告会社は、年一回の決算で、その時には帳簿を引揚げて決算書を作成し、事業報告書も右公認会計士において作成していること、反面、原告会社では経理係が二名専従して帳簿の記載などをしており、従来代表取締役相田幸一との経理の混同は全くなく、相田幸一が代表者個人として会社へ金員を出したり、貰つたりすることもないこと。従つて、経理組織及び経理処理は完全であること。

(六) 原告会社は、以上のとおり、経営規模が大きく、そのため多額の融資を要し、金融機関の信用を得るため会社形態を採る必要があつたこと。

以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の各事実を照合すると、原告会社はむしろ、株式会社として形式、実体共に健全な形態を具備している会社であると云わねばならないから、原告会社の法人格は形骸にすぎないとする被告の法人格否認の抗弁はこれを採用するに由ない。

第三そこで、最後に、被告主張の予備的抗弁について判断する。

被告は、事実欄第三の三記載のとおり原告の本訴請求は、信義則違背ないし権利の濫用として許されない旨抗弁し、原告はこれを争うので判断するに、<証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる。

即ち、(一)(1)相田幸一個人が同人所有の本件建物を原告会社に賃貸したのは、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号事件(同年一月二〇日訴提起)の訴の提起後である同年三月頃であること、そして、相田幸一は当時原告会社の代表取締役であつたので、本件建物が係争中であることについては、原告会社は賃貸の当初からその事情を知つていたこと、また、訴訟の経過もある程度知つていたこと。しかし、原告会社は、本件第三者異議の訴を提起するまで、前記事件については何らの防御手段も講じなかつたこと。(2)、また、原告会社は、後記(二)記載の各事実を充分知りながら、本件第三者異議の訴を提起したこと。

(二) 被告は、大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一、二四九号建物収去土地明渡請求事件につき、昭和四四年三月七日判決の言渡を受け、訴外相田幸一が被告に対し、本件建物を取毀して土地を明渡すべきことが明らかになつた時に、(イ)、まず、相田幸一は大阪市会議員に依頼して話合いにきたこと。(ロ)、被告が早く明渡すよう請求したところ、右相田幸一は、<証拠>(依頼書)を長男相田保を通じて被告に対し、差し出し、相田幸一が病気であるから昭和四五年六月まで猶予してくれと申し入れてきたこと。当時、相田幸一は原告会社の代表取締役であり、原告会社の立ちのきも当然意識していたものと推測されること。そこで、被告は、右申入れの猶予に従つたこと。(ハ)、ところが、相田幸一は昭和四六年六月になつても右判決どおり明渡さなかつたこと。(ニ)、被告は、右相田幸一に対する右判決の執行のため昭和四五年九月一七日に本件建物収去命令を求め、代替執行の申立をしたこと。(ホ)、右申立につき、大阪地方裁判所第一四民事部は、その費用の鑑定を鑑定人吉仲清に命じ、同人が鑑定のため、右相田幸一の本件家屋の調査をせんとしたところ、それを拒否し、その拒否理由として<証拠>(上申書)を右相田幸一から右鑑定人に提出したこと。(ヘ)、右上申書には、境界線について異議があるが、右相田幸一は自発的に右判決に従い明渡す旨申し述べていること。

(三)(1) 原告会社は、本件家屋以外の場所に店舗を持つて営業しているのであり、本件家屋の使用の主体は従業員二、三名の宿泊にすぎず、しかも、本件係争地は南北に細長い僅か4.95平方メートルにすぎない土地であること、

(2) 原告会社も、一旦は本件建物の収去を了承していたのに、本件第三者異議の訴を提起してきたことが推測され、相田幸一個人には前記判決の執行妨害の意思がうかがわれ、同時に同人が代表者であつた原告会社にも前記判決の執行妨害の意思がうかがわれること。

以上の各事実が認められ、<証拠>のうち右認定に反する供述部分は前顕証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の各認定事実に、前記第二において認定した原告会社は相田幸一の意向が強く働く同族会社であることを綜合して考えると、原告会社が、本件家屋を賃貸した当時からすでに前記訴訟は提起されていたのに、何らの防御手段も講ぜず、判決が確定してから明渡猶予を求め、相田幸一が被告に明渡の時期を約束した時点では原告会社も本件建物の明渡を了承していたものと推認され、それにもかかわらず、本件第三者異議の訴を提起したものであり、さらに、原告会社は本件建物を余り使用しておらず、その後係争土地も南北に細長い僅かな面積であるのに、右訴を提起したのであつて、前記判決の執行を妨害するため、原告は本件第三者異議の訴を提起したものと推認されるといわねばならず、以上認定のとおりの特段の事情の認められる本件にあつては、原告が、被告に対し、本件建物の収去土地明渡の判決に対し、己が会社という第三者としての資格を有し、直接右判決の既判力を受けない立場にあることに乗じ、右判決の執行を妨害するため、第三者異議の訴を提起することは、権利の濫用として許されないものといわねばならないから被告の予備的抗弁は理由がある。

第四以上のとおりであるから、原告の被告に対する本件第三者異議の訴は理由がないから、失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(弓削孟)

別紙物件目録<省略>

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